感想・小説編。
カルシファード青嵐記3 嵐をつきやぶれ!
著者:友野詳
出版元:角川スニーカー文庫
カルシファード第3巻。第一シリーズも、いよいよクライマックスを控えてきたトコロですな。 そう、第一シリーズ最終巻を目前にひかえ、物語もますます加熱し加速しております。候国を覆い揺れ動かす最初の大きな"うねり"である、メジの乱の勃発。動乱を引き起こした張本人セキ・ダンジェイと、そのしもべして暗躍する流牙衆の『影』の面々。蜂起に対抗すべく立ち上がる各国の旗将たち。そしてそんな大きな流れの中に、まるで宿命づけられたかのごとく立ち、真っ向から売られた喧嘩を買う白狼党の面々。「大義」なんて大層なものでは無く、かといって「願望」というほど小さな理由でも無く。ただおのれの眼前に立ち塞がる"壁"に向かってソレを"つきやぶる嵐"となり、意図する・しないに関わらず時代の動乱へと殴り込んでいくリョウヤたちの活躍。このリョウヤたちの大立ち回りが、3巻全体を通して描かれています。とにかくソコが面白いワケですヨ! そこいらの物語にありがちな、悩みながら戸惑いながら先に進んでいく、なーんてのとは全然無関係。タダ単に、連中が気に入らねぇから、目の前に立つヤツには負けたくないから、「戦う」のではなく「喧嘩を売る」というリョウヤの姿勢が実にヨロシイ。まー、カタルシスが無いっつー部分では確かに物足りなくもありますが、うだうだ悩んでる主人公を見てるよりはよっぽど気持ちいいしね。それに、悩んだり考えたりする役目は、他のカイリやキクノあたりが受け持ってるから、全体的に見たらバランス良いしね。そういう問題じゃ無いってか? ストーリー以外の部分の見所はやはり、前巻からグンとページ数の増したバトルシーンですね。物足りなさのぬぐえなかった過去1〜2巻とはうって変わって、この3巻ではもうバトルシーンの連発。てか、全編通して戦闘だらけ。メインのリョウヤ・カイリ・エジムが、外法使い相手に存分に剣術・槍術をふるい戦う様を、序盤からラストまで存分に拝めます。なによりなにより、3巻ではやんちゃ坊主のシラハも空中戦で活躍しているほど。影タマットらの妖術相手に、おのれの刀で立ち向かう、この殺陣描写。う〜む、これぞカルシファードシリーズの真骨頂。やはり面白いねぇ、この小説。
「おう、小僧。名前はなんてんだ、名前は。俺ァ、セキ・ダンジェイ、セキ・ダンジェイてぇんだがな」 目の前のもの、すべてをねじふせずにはいないその眼光。俺が偉いと叫んでいるかのような表情。誰も彼もがひれ伏して当然だと考えている目をしている。 そういう相手に出会って、リョウヤは、全身の痛みを忘れた。いや、ほんとは忘れようもないくらいに痛むが、忘れてやるぞと決意したのだ。 ぐいぐい頭を押されたら、その分だけ背伸びしてみせるのがこの若者なのだ。 「俺はヒビト・リョウヤだぜ、おっさん」 堂々と胸をはり、顎をそらし、真正面から視線をダンジェイに叩きつけた。 ―― 中略 ―― 「黙ってやがれ、黙って! 俺がこれをはじめたのは、血のたぎりが押さえきれねぇからだ。こういう面白げな若僧、叩きつぶさずにいられるか。叩きつぶさずにな」 「けっ、思ったより器の小せぇ野郎だな。喧嘩したいだけで、なんでこの人数を巻きこむかよ」 偶然(てゆーかリョウヤの不運(笑)とはいえ、ついに邂逅を果たしたリョウヤとダンジェイ。動乱の中心人物という大物中の大物であるダンジェイと、たんなる市井の弾華者でしかない存在のリョウヤ。そんなふたりが顔を合わせたところで世の何が変わるでもない…ハズなのに、まるで宿命であるかのように彼らはその場で対峙した。間に挟まれる挿絵ページから感じられる気迫とも相まって、3巻からはこの場面を。 |
2005/05/11