感想・小説編。

学校を出よう!5 NOT DEAD OR NOT ALIVE

著者:谷川流

出版元:電撃文庫


デタラメ超能力学園コメディ、ここで5巻目。明記はされてないけど、次の6巻とは上下巻的な繋がりがあるストーリー展開です。新キャラも色々出てきたけど、中でもいのり他の誰よりも分かりやすい外見的特徴だなぁ、と。バッテンマーク付きのマスクて(笑) あるイミ良いデザインのキャラだと思う。ビミョーな愛嬌もあるしな。

この巻(とゆーか、6巻と合わせた上下巻)は、なんと言いましょうか、その構成自体がなかなかに面白いですねー。本シリーズ、個人的にはそのデタラメさを魅力として楽しんでる次第ですが、今回はストーリーの進行からしてデタラメになってるときた。一応ひとりは既出のキャラだけど、正体不明の3人の上位観測者による介入で、進行が途中々々で行ったり来たりするとゆー、なんともワケの分からんシナリオ展開です。<自動干渉機アスタリスク>が謎の操作を施すたびに、まさにその異名の通り文中のアスタリスクマーク(*)部分、いわゆる「セーブポイント」に戻っていく作劇は、実にギミック的な手法で面白いです。まぁチョット違うけど、ある種のタイムパラドックス的なネタとゆーか、ね。ホントこれ、いくらかアタマ使って読んでないと、混乱して理解不能になっちまうようにも思いますよ。肝心のナカミは、突然の吸血鬼騒動に翻弄される第三EMPといった展開で、これはコレでややシリアス寄りなスラップスティックが面白くはありますが、今回はそれよりもギミックの方にどーしても目がいってしまいますな。

ところでこの巻中の宮野の発言、主に261ページのセリフですけど、これはまさに作り物フィクションの物語内だからこそ在り得る言葉ですねー。だって、現実の中に存在する人間は、今現在の自分の有り様が異質だなんてことは考えもしないですもの。まぁ妄想は別としてな。その「世界」に属している存在は、そこにいること自体が”当然のこと”であり”常識”だから、それが「オカシイこと」だなんて思うこと自体がすでにオカシな考え方ですからね。「我々の世界」には超能力や魔法なんてのが無いから、それらが存在しているものをフィクションとして受け入れる・受け入れられるけど、逆に「魔法が存在する世界」にとっては、魔法があることこそが現実であり、「魔法の無い世界」(=我々の世界)はソコにとってのフィクションにしかならない。だから、「本作の世界」の住人にとっては、EMP能力が存在していることが現実であり常識のハズ、なのにそれに違和感を抱くとゆーのは、それこそフィクションゆえに許容される発言と言えます。だって、今どっか実在の人間が、「今のこの世界は間違ってる!」とか言い出したら、ソイツはアタマいってる妄想癖の強いヤツでしかないでしょ? だから、普段の宮野の言動がエキセントリックなことは置いといても、そーゆーセリフを吐いても問題にならないのは、それが作り物フィクションでのセリフだから。ともあれ、そーゆー要素を内包している本作は、いわゆるメタ的っつーんですかね?、そんな”視点”の在り方が奇妙であり同時に面白いです。

とりあえず、色んな伏線や事件の結末は、続く6巻にて。



▽自薦名場面 ― 130〜131ページ

 「それは無理だな。寮長殿は現在取り込み中のようだ。義理立てするわけではないが邪魔をするのは気が咎める。私は馬に蹴られて死にたくはない」

 (中略)

 「あるけど……。兄さんが取り込みちゅうって、何に取り込んでるの?」と若菜。

 「夜は若く、キミもまた若い。若菜くんには早すぎる。のちのち寮長殿から直に聞くとよい。私は尾籠びろうな物語には興味ないのだ。茉衣子くんも安心したまえ、キミの下着姿をネタにするほど私の想像力は欠陥しておらん」

実は、別にこのシーンが気に入ってるってワケじゃーなくて、キモはこのセリフの”ウラ”です。ユキちゃん、ヤったのか?(←何を?) この宮野の発言をそのまま鵜呑みにすると、ぶっちゃけそーゆー解釈にしかとれんよなー(笑)



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2006/07/08