感想・漫画編。

鋼の錬金術師 6巻

著者:荒川弘

出版元:ガンガンコミックス


錬金術マンガ第6巻。幼少期のダブリスでの修業から、物語の”真の始まり”であるエルリック兄弟の犯した罪・人体錬成、そしてエドが国家錬金術師としての銘を授けられるまで、前巻から引き続く過去エピソードの終了までを描いております。

さて、まず22話にて錬金術の根底とでも言うべき思想(?)、「一は全、全は一」の意味をエルリック兄弟が見出しましたな。おのれ自身が生と死の境に立たされたことで、自分という「一の存在」と、その周りを取り巻く世界=「全というもの」を肌で感じ、それらのありとあらゆる関わりがあるからこそ「一は全」であり「全は一」である、そしてその「大きな法則」を理解し望むカタチに造り替えていくもの、それが錬金術だという、その大きな概念。世界と個との関係、大いなる宇宙あるいは世界の流れ、それらを知りそこから創造を果たす存在などなど、どこかこれら描写には悟りか何かにでも通ずるよーな思想が垣間見られますな。ま、学問的な見地から行くと、”生命”に向き合ってゆく事柄とは万物の根源に対する考察でもあるから、こーゆー流れに行くのはある種の必然なんですが。そこら辺の小難しいアレコレを、こーしたマンガで描いているのは、チョイと真面目に読み込もうとすると何気に重要で貴重なコトなのかもしれませんねー。

さてさて、そーした大いなる法則、決して抗うことのできない世界の本質を理解しながら、それでもその流れに逆らう行いである「人体錬成」を兄弟が実行してしまうからこそ、人体錬成=禁忌であるとゆー単純な良い・悪いのハナシを理解するより以上に、彼らの犯した罪の深さ・彼らが背負った業の重みが伝わってくるのもまた、本作の面白さであり読み応えのある所でもありまして。禁忌に触れる事の危険さや、なぜソレが禁忌とされているのか、それらに対する疑問や不安など一切無く、ただただ母親に逢いたいためだけに行った人体錬成。その結果に垣間見た・見せられた”真理”と、真理を見たゆえに失った多くの事々、それでも留まることなく先へと進もうとする罪人きょうだい。10とそこらでしかない年齢の少年が負うにはあまりにも大きすぎ、その強烈な程の現実を知ってなお前へと行こうとする姿は、不屈の闘志を宿した「焔の眼」があったとしてもやはり、人間というものが重ね続ける業の重さを感じてやみません。

さてさてさて、その道を選べば罪と業がより深まるかも知れないと気付いていながら、ひとつの可能性を信じておのれの意思と意志に従い、国家錬金術師/軍のいぬの名を背負う覚悟を決めたエドワード・エルリック。彼が授かった錬金術師の二つ名、それは『鋼』の一文字。「鋼」とは、[数%の炭素や添加元素を含有した鉄]を意味し、[鍛えあげ、より強さを増した鉄]の意味でもある。禁忌を犯して後戻りのできない罪をその身に強く有し、その上でも諦めを知らない強く鍛えられた心を持ってして、少年は真実を手にするための旅を続ける。だからこそこの物語の題名は、その少年が呼ばれる銘は、『鋼の錬金術師』なのです。



▽自薦名場面 ― 94〜95ページ

 「畜生…
  返せよ 弟なんだよ……
  足だろうが! 両腕だろうが! …心臓だろうがくれてやる

  だから!!

  返せよ!!

  たった一人の弟なんだよ!!

第23話・「叩け 天国の扉」のラストシーン。なんつーか、まぁ、ココは余計なコメントは述べない方が良いのかもなぁ。血にまみれた両手を掲げ、祈るように覚悟の言葉を並べ、そして唯一の願いを叫び、最後に合わせられたのは両の掌。それが彼らの罪の始まりであり、長く続く旅の始まりでもある。果たされたのは、エドワードの覚悟。叩かれたのは、天国の扉…?



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2007/03/20