感想・電子遊戯編。

MOTHER3

発売元:任天堂 開発元:ハル研 ブラウニーブラウン

対応ハード:GBA

そもそもの企画立ち上げでは、2からそのまま継続するカタチでSFCでの開発を予定。それが時間の経過と共にN64に移り、さらに月日が経って拡張ハードの64DDへ。そこでとうとう、様々な事情のもと開発中止の決定が下された。そんな一旦の結末からさらなる年月を経て、携帯ゲーム機・GBA用タイトルとして、今ようやく現れたゲーム。それがこのMOTHER3。前作から数えて12年もの期間を要した本作は、如何なるゲームとして生み出されたのか…ここに、そのレビューを書き記そうと思う。ま、GBAの『1+2』が初プレイの自分にしたら、別に大した期間待っても無ぇけどな!(←全部台無しだ

MOTHERというゲーム、過去シリーズを体験した多くのプレイヤーから「一生いちどはやるべきゲーム」とさえ言われたほどのタイトルであり、その続編である3を心底待ち遠しくしていた人間も、きっと多かっただろう。そんな、多大な期待(と同時にある不安)のもとに現れた本作、コレは確かにMOTHERであったと、私は思っている。ナルホド確かに、1・2と比べて本作のシナリオは悲劇的な展開を見せる場面も多く、物語上の雰囲気は大きく変わったと感じる点は、まぁ否めないだろう。だが、端々で見せる虚をついたような、あるいは(悪いイミでなく)ヒトを食ったような演出、またゲーム内から唐突に確認されるプレイヤー自身への問いかけ、そしてクライマックスで明かされる、想像だにしなかった衝撃的なまでの物語の真実。これらの要素を盛り込んだ本作は、私にとっては確かにMOTHERの名称に相応しい、過去2作品と同様の魅力を持ったゲームだったと感じている。

ただし。本作をひとつのRPGとして見た時、その評価は相当に低いものであるというのも、私にとっての正直な感想だ。端的に記すと、「SFC時代のゲーム」という評価がしっくりくる。これは別に、グラフィックのレベルがSFC級でしかないからとか、そういう意味ではない。むしろ本作のドット絵によるグラフィックはひとつの”味”であり、描き込みへのこだわりを端々に感じなくもない。問題はシステム全般の方。持ち歩くアイテムは各キャラ個別に逐一管理せねばならず、その並びは常にゴチャゴチャ、さらには装備品とも一緒くたの管理。また、装備はあくまで装備の項目から選択する必要があり、アイテム欄から直接ソチラに飛ぶという機能は無し。このあまりにも不親切な作り・古くささにはどうしても、「SFC時代」という烙印を押さざるを得ない。他で強く疑問に感じたのがDPの扱いだ。どうしてコレをカエル(注:本作はカエルでセーブを取りますが預かるのか? セーブポイントでオカネを管理しなければMOTHERでは無いという事か? 前作までなら、オカネの管理には演出上の必然もあり、そうあることに何の違和感も無かった。だがしかし、本作は違う。にもかかわらず、システム面だけ過去シリーズを踏襲したのは何故だろう。これらゲームシステムの古くささや、必然性を欠いたシリーズ伝統の継続、それゆえに本作のゲームとしての評価は、私にとっては低いものでしかなかったのである。

だがそれでも、私は本作を遊んで損をしたなどとは、ひとつも思っていない。遊んでみて良かったと、正直に感じている。ソレはひとえに、このシリーズのテーマに多少なりとも心を動かされたからだ。このシリーズを通して描かれていると、私が個人的に感じ取ったモノ。それは、本作は「いのち」を描いた物語だという事。1では、遠い場所にあって育まれた「いのち」が、物語の核として存在していた。2では、「いのち」を投げうってまで悪意に立ち向かおうとする、そんな姿が描かれた。そして3では、ある家族を軸として、「いのち」が何処へと向かうのか・どのようにして「いのち」は存在しているのか、それを通して描いていた。本作では、幾人か亡くなる人物だっている。でも、だからと本作が「いのち」を描いていると言うワケではない。むしろ「死」を通して「生」を描くのは、場合にもよるが個人的に評価をしたくない表現手法だ。本作では、そんな描写も含んではいるが、そうではないカタチで「生命」を、「いのち」を描いていたと感じた。

そして同時にまた、何故このシリーズが『MOTHER』の名を冠しているのかを、漠然と感じ取った。この『MOTHER』とはつまり、生命を育むもの、「いのち」を生み出すものとしての『母』。だからこそMOTHERは、MOTHERで描かれたのは「いのち」なのだと、私は思ったのである。あまりにも普遍的で、それゆえ描くに容易ではない「いのち」というもの。私はラストシーンで、つい涙すら浮かべた。だからこそ私は、ゲームとしては評価が低いながらも、本作を遊んで良かったと、心から思っている。


ここで描かれるのは、『キマイラの森』であり、そして『豚王の最期?』であり、ひとつの家族を通して紡がれる「いのち」の物語。住む人々全ての表情グラフィックがそれぞれに違う、確かに生きた”誰か”がソコにいる、小さな村・タツマイリ。これはどこにもないノーウェア島で巻き起こる、ひとつの冒険物語。8つの章を終えた時、作り物で覆われた”その姿”は、ついに青く美しい真実の在り方を取り戻す――

登場する者達は皆どこか「奇妙で」、語られる言葉の数々はフシギなほどに「おもしろい」。「そして」、描かれるストーリーはココロを抉るまでに「せつない」。糸井重里さんが世に送る、ココロに何かを刻むゲーム。その3部作・完結編となる本作。全てのおしまいENDに相応しいそのエンディングを、あの静かにたたずむ最後の画面を、いま多くの皆様に。



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2006/06/23